東京生活のひとりごと

東京生活で感じたことを書いています。

何気のない事を感じる

障がい者施設で働いていると、利用者である障がい者の人と接することが多い。

 

歩行が困難な人、話すことが困難な人、極端な思考を持っている人、または思考が出来ない人、身体・知的・精神共に、その人固有の症状がある。

 

彼(彼女)らから見て、健常者の人は普通になんでもこなせるように映っているのだろう。

 

つまりは、何気のない普通のことが実は大変な喜びであることが見えてくる。

 

休日に街に出かけると、歩ける喜びを感じるし、カフェでのんびりできる喜び、季節を感じられる喜び、好きなものが買える喜びがある。

 

これら全て、只事ではない喜びが存在する。細かく見ると、それぞれ異なる喜びをそれぞれ享受している。

 

そうして、喜びを享受(受け取る)と、私自身が満たされる。

 

その満たされた感情を誰かに渡すことが出来るようになる。また、その行為そのものが更なる喜びなのである。

人が整骨院に行く理由

以前から体のゆがみが気になっていたので、整骨院に行った。

 

身体をほぐしてもらって、ボキボキと骨を整えてもらって。施術前と施術後にスマホで写真をとり、見ると明らかに姿勢がよくなっていた。

 

時間がたつともとに戻ってくるようだが、即効性があると納得がいく。今後、通うことによって、どれくらい身体がよくなるかどうかは分からないが、家でも実践しようと思う。

 

ほぐしてもらっている間が、よても気持ちがよい。自分の身体を親切丁寧に扱ってくれること自体が嬉しい事なんだ。

 

街にのいたるところに整骨院がある理由が分かった。

ハングリー精神はなくなってくる

以前は、やりたくない事もしていかないと思っていた。余裕がない分ハングリー精神が起動していたから、生きていく事が出来た。

 

現在は、やりたくない事はしないでいい環境になった。その分、ハングリー精神は影を薄めて、ゆとりが出て来た。

 

どちらがいいか分からないけれど、以前は以前にしか出来ない事があり、現在は現在でしか出来ない事がある。その違いがある。ただそれだけ。

 

時代の風潮は緩やかになっていて、ハングリー精神が無くても行けて行けるようになっている。

 

どちらも味わってみると、どちらでもいいような気がしてきた。

底辺の人を知るメリット

生きていると、たまに底辺の人と関わることがある。ここで言う底辺は、人間的な部分で、生活レベルを指していない。

 

簡単にいうと、自己中心レベルの高い人を指す。人としての成熟度が低いともいう。

 

その人と関わると、なんとも嫌な気持ちになる。自分より、明らかに成熟度の低い人と関わるのは、しんどいことである。出来るなら距離を置きたいと思うだろう。

 

人は、成熟度の高い人と関わると気持ちがいい。その逆は気持ちが悪くなる傾向にある。

 

関わっている真っただ中にいる時は気分が悪いが、後になってみると、その底辺の人と接したことで、今まで標準的な普通の人が、素敵な人に見えてくる。

 

なぜなら、普通の人は、底辺の人から相対的に見ると、素敵な人に分類できる。底辺の人が持っていないものを、普通の人は持っている事に気が付ける。それは、底辺の人を知っていないと、気が付けないのである。

 

そんな、思わぬ副産物もあるんだと思う。

頭の中でぼんやりした物事

何か自分の中で、ぼんやりした状態の物事があると、集中しにくくなる。

 

それらを、文字に書き出してみる事で、ぼんやりした状態から、くっきりとした状態に輪郭を帯びてくる。

それまでは、形を与えてもらえずに、収まる場所がなかったことが、すんなりと収ま場所に落ち付いた感覚。

 

こうやって、頭の中がスッキリとしてくる。だから、物事は明確にしておくと迷いが生じにくくなる。

柔軟な思考と人間関係

障がい者施設で働いていると、男性でトラブルを起こす人に共通して、物事を白か黒で判断する傾向があることが分かってきた。

 

中間の灰色はないようで、物事をかっちりと決めてしまいたい。うっかり中間の意味で伝えてしまうと、極端な受け取り方をされているケースが多々あるのだ。

 

そういった視野が狭い人は、生きずまりが多くあり、相手も誤解することが多い。本人には悪意はなくとも、結果としてトラブルを起こしやすい。

 

逆を考えると、柔軟な思考が出来る視野の広い人は、生きずまりを回避できる。結果、相手と衝突することが少なくトラブルを起こしにくい人だと言える。

 

柔軟な思考さは、人間関係が豊かになる傾向がある。

 

 

新しくできる個人の飲食店

近所で定食屋がオープンしていた。新しい店には、一度は行ってみたい。

 

入ってみると、中年の夫婦(多分)が切り盛りしていた。他のお客も居たが、繁盛とまではいかない感じ。きっと、利益はさほど出ていないだろう。

 

開業資金は数百万すると思われる。それで、利益は少しは出る程度だと思う。

 

それでも、開業したのは、人って、何かしたい存在なんだと思う。持っているお金を使って、お店をやって、生活が成立すればいい。そんな雰囲気を感じた。

 

お店が、利益が出なくても、諦めがつくのだと思う。

 

それに、夫婦として同じことをするということが、楽しい事であり、更に同じ思いを共有できる。

 

そうした、トータルで人生が豊かになっていくのだろう。