東京生活のひとりごと

東京生活で感じたことを書いています。

現実逃避について

現実逃避する人は、今が苦しい人

一時的に、自分を忘れることが出来る。

幸福度の高い人は、今が充実しているのに、わざわざ現実逃避する必要がない。
幸福度の低い人は、今を忘れることが出来るので、現実逃避を好んで行う。


現実逃避をしていると、その時間は何も向上出来ずに現実は変わらない。
よって、現実逃避を繰り返しやすい。


圧倒的に苦しい時は、逃避行動をすることで、一時的に苦しさを感じなくすることが出来る。
もちろん現状は変わらない。


実は、本人が頑張ってやっている事にも、現実逃避が潜んでいる可能性がある。
その人の中で、なにか違和感があるならばその可能性がある。

同時に自分のしている事を意識してみると、どこか違和感があれば逃避行動である可能性がある。

人の成長と幸福度の比例

障がい者施設で働いていると、健常者さんより障がい者さんに困ったさんが多い事に気が付く。

 

障がい者さんは、根底に寂しさがあると推測する。人間関係が限られ、相手に理解されにくいのもあり、対等な関係を結びにくい。よって、寂しさを抱えて、職員に精神的に寄りかかってくるケースがある。

 

そういった傾向があるにせよ、寂しさを抱える人は、自己中心性が見受けられる。自己中心→人付き合いが成立しない→寂しさ となる。

 

本人は、自らの自己中心性は気が付かない。気が付いていたら、そこから脱却の道を辿るから、気が付かないから自己中と言える。

 

そう考えていくと、人の成長は、自己中から抜け出すことではないかと思う。自己中心から他者中心になることが、人の成長のひとつの形だろう。

 

自己中の人は、相手の世界を理解できないから、相手からの好意を受け取ることも難しい。そこに成長の栄養素があるのに、受け取れないでいるのだ。そのジレンマがあり、成長に向かいにくい。

 

自己中の度合いと幸福度は、ある程度比例するよな気がする。相手の事を思いやる事に、喜びを見出せることが幸福度の高い人だと思う。

人と会った時の充実度

久々に会った友人と、話していると、楽しいのか退屈なのか分からなくなる時がある。両方混じっている感覚。

 

私は、会った人と充実した会話をしたいと思う。充実とは何かを生み出すことを意味し、何も生み出さないどうでもいい会話は退屈に感じるし疲れる。せっかく会っているのに、そこに意味を見出せていなと、会う意味がないと感じる。

 

私のコミュ力で、意味を見出していけるようになればいいが、そうでないケースも多い。そういった場合って、相手はそれで満足しているのだろうか?

 

わからないが、相手に「その感度」が鈍い場合はそれで充分なのかも知れない。あまり、物事を深く考えない活力のあるタイプに多い気がしている。コミュニケーションの量を重要視している感じだ。

 

私は、人付き合いが疲れやすいので、量より質を重視したい。

 そうなると、その時点で価値観のズレが生じるのだろうか。

幸福感は比較から生まれる

人の幸福とはどんなものだろう?

幸福を細かくみていくと2つがあるように思う

・相対的な幸福感

・絶対的な幸福

 

前者の幸福感は、味わいやすい感覚だと思う。

人は他者との比較の中で自分の位置を掴む。それが劣等性や優越性をもたらす。それが幸福感となる。感だから、そんな感じがするといった、半ば幻である。

 

後者の幸福は、「感」を付けていない。

幸福感に惑わされずに、自分の中で完結する確かな幸福を感じることが、絶対的な幸福とつながる。人は幸福感があろうが無かろうが、どんな状況でも幸福でいられるし、幸福でいてもいい。

依存体質の人

共依存の親子関係を持った人は、依存体質になりがち。そこから抜け出すには、それだけのエネルギーが必要なのだと思う。そのエネルギー自体を、親子関係で得られないから、抜け出しにくいという現実がある。

 

私は、時々、そういったことに抜け出せないでいる人と接することがあった。

私のと関係も、依存してくる関係になる。そういった人は、全ての人に依存する。いや、それしか関係の持ち方が分からないのだろう。

 

最初はいいが、徐々に、ただ依存されているだけだと分かってくると、その関係性が不毛なものと思えてくる。

 

本人が依存関係から脱出するように成長を求める気持ちがあれば、しばしの依存は構わないが、それが見えないと打つ手がないように感じる。そもそも成長をしていく経験がないから、どうしていいか分からないのだろう。

 

本人は苦しみの中にいる。抜け出すのも苦しさが伴う。

はずれにくい知恵の輪のよう。

 

依存体質の人と接するのなら、抜け出す方向に進むしかないと思っている。

シングルタスクの習慣

人の性格の分類をするひとつに、ひとつの事に集中するシングルタスクと、同時にできるマルチタスクかによって分けられる。

 

一般的には、男性はシングルタスクが多く、女性はマルチタスクが多いと言われています。もちろん、個人差があると言われればそれまでですが。

 

シングルタスクの特徴は、一つのことに集中して他のことは関心が向かなくなる専門性を発揮するタイプです。男性に科学者が多いのはうなずけます。

 

マルチタスクの特徴は、ひとつひとつはそれなりに、バランスよくそつなくこなせるタイプです。女性は、育児・仕事・人間関係をバランスよく出来る人が多いのにうなずけます。

 

脳科学では、人の脳はシングルタスクで出来ていて、マルチタスクに見えるのは、その瞬間ごとに切り替えているからだそうです。

 

パッと切り替えが出来る人でもあります。推測ですが、女性の左脳と右脳の脳幹が太いのも、切り替えが素早くできる要因なのかも知れませんね。

 

自己改革ならシングルタスク

 

今から、何かを学習するとか、何かを得るとか、環境を変えるとか、自己改革を目指す人にとって必要なのは、シングルタスクの能力が必要だと言えます。

なぜなら、ひとつのことに取り組んで力を発揮できるからです。

 

習慣として、毎日同じことを決まったようにすること。休日も関係なく、同じ時間、毎日取り組むのです。すると、余計なことを考えなくて済みます。極端な話、1日の生活を1年間ずっと続けるのです。実は、本人は何も余計に考えなくて済むから、その方が楽だったりします。

 

興味の無い事をしてしまうと、集中力が途切れてしまうことがあります。だから、なるべく興味の無い事はしないように心がける必要があります。元に戻すために、気持ちを切り替えるのは労力を要するのです。

 

余計な事はしないほうがいい。バッサリ切り捨てる感覚ですね。

 

そうすると、取り組んでいることに集中できます。そうして、その対象に集中して、レベルを上げて行き、それが一定量になると成果として現れてくるでしょう。

物や予定を捨てると身軽になる

人は、物や予定があると、充実しているように感じる。

本当に必要な事はそれでよいが、不必要な事をしていると気持ちが重たくなる。

 

更に、神経を消費している。パソコンやスマホで、余計なアプリが常に動いている状態だとメモリを消費するのと同じ。知らず知らずの間に消費しているなら注意が必要。

 

私は、まず物を整理しようと思い、服、本、余分なカード類、名刺、繰り越した通帳・記念のもの、使わない趣味のもの、PCのブックマーク、CDやDVD等、ついつい溜まっていくものをバッサリと捨てた。記念のものは、写真や動画にしてデジタル化した。すると随分と身軽になった。

 

予定もあると充実していると思っていたが、見直してみた。

目的のないブログ、ヨガ教室、セミナー参加などを辞めた。すると、現在続けている習慣に集中できるようになった。明らかにキャパオーバーしていたことが分かってきた。

 

予定で頭がごちゃごちゃしていると、思考(方向性)も散乱してしまう。よって、チグハグな事をしてしまいがちになる。

 

そうして、必要のない予定を捨てて、部屋に物が少ないと余計な事を考えなくていい。神経を使わないから、とても快適に過ごすことが出来る。